神光不昧とは

今日のできごと

今日、スーパーに水汲みに行ったら、休憩スペースに飾ってあった写真の雲巌寺の扁額に「神光不昧」とあるのに気づきました。

神光不昧とは心の光を昧(くら)まさないこと。禅の真髄を端的に表現した言葉。虚空のように澄み切った境地にいる工夫を積むと、事物の真相を洞察する力が自然に備わるように人間はなるとの教え”とあります。

http://sa-san184.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/no456-80a6.htmlから

「澄み切った境地」「事物の真相を洞察する力」…話が変わりますが、

最近、SNSで兵庫県知事選絡み…公用パソコンのファイルの中身が話題になっているようです。その一部が晒されたので、ついXで見てしまいました。税金で給料を貰い、職務中にこんな作文をしている人間がしたことが、公益通報だとか内部告発などとガチャガチャやっている程度の低さには呆れてしまいます。

さて、「澄み切った境地」と「事物の真相を洞察する力」で世間様を自分なりに正しく見る心を養っていかなければ、という心境です。

コメント

  1. 金太郎パパ より:

    > 「神光不昧」の扁額。

     書いてある文面についてはもちろん理解できませんが、さらに「扁額」って何だろうと思ってしまいました。

    > その一部が晒されたので、ついXで見てしまいました。

     それはそれは…。
     しかし、闇に葬られてしまっています。
     巨大な組織みたいのがいて、マスコミなどを操作してまともな情報は出てきませんね。
     ホント、世の末、終わりだと思っています。

    > 世間様を自分なりに正しく見る心を養っていかなければ、という心境です。

     自分なりでいいんですかね。
     「正しく見る心」は主観でいいってことですよね。
     それに賛成です。、

     

  2. happy より:

    主観以外に、なにものもないですよね。

    自分の主観を大切にする。
    これこそ、自分がこの世に生まれ、この世に生きたという証でしょう。

    世間様は、自分の鏡に映った幻のようなものです。