春の花壇配色

ガーデニング

我が家では、春の花壇の色は黄色から始まります。黄色の福寿草・黄色のスイセン、その後に紫のヒヤシンス…今がちょうどその2色が一緒に咲いています。色彩的に反対色なのでいい感じです。少しだけピンクのヒヤシンスと白のヒヤシンスが見えます。

このところムスカリが咲き始めました。これも紫です。そのうちに黄色いタンポポが咲き始めるのではないかと思います。

「黄色と紫」、我が家の花壇ではこの色から始まります。

樹木は、とっくに咲き終えましたが蝋梅、そして白い梅で始まりますね。

コメント

  1. 金太郎パパ より:

    > 草刈りやガーデニングに夢中

     よかったです。生きていて。(笑)
     やりたいことがたくさんあって、時間が足りないぐらいなんでしょうね。
     羨ましい限りの老後生活ですね。

     なにか趣味を見つけないと金太郎パパはすぐに老いちゃいます。
     もう片足は棺桶に突っ込んでますけどね。

  2. happy より:

    >もう片足は棺桶に

    何をおっしゃいますか!

    ところで、
    今日、高校の同級生から突然スマホに電話がかかってきました。
    65歳まで働くそうです。
    まだ親の家と自分の家と建てたので、ローンがまだ残っているそうです。
    「65歳以降も働いてね!」
    と奥様から言われているそうです。

    最近、13万部売れているという和田秀樹の「70歳が老化の分かれ道」、老いを遅らせる70代の生活の中に
    「何事においても、”引退”などしてはいけない」
    と書いてあります。
    80代以降も元気で過ごすためには、最後の活動期である70代の過ごし方がカギになるとも書いてあります。

    「そんなに働いて長生きして、何が愉しいの?」
    と思ってしまいますが、上の説を受け入れるとしたら60代はどう過ごせばいいの?
    当然、働くということになりますよね。

    ということは、体と頭が機能しなくなるまで働きましょう…そうすれば老化しませんよということで、何のために人生の一周目を頑張ってきたのか訳が分からなくなるのではないでしょうか。

    最近、生きている上で価値あることは、「自由」だという思いが強くなってきました。
    「拘束から解放されること」
    それ以上の価値はないのではないかと思うのです。

    ローンから解放されずに、自由を愉しめない(私の勝手な思い込みで失礼かも知れませんが…)人と比べたら、片足棺桶はまだまだ早いですね。

    自分はなぜ草刈りをしているのだろう?
    草刈りは、せっかく買った草刈り機の稼働率が低いともったいないよね…という貧乏性の性格からきているのではないかと思います。
    ついでにウォーキングにもなるし、見た目もきれいになるし…何か、成り行きで生きているようなものです。

  3. 金太郎パパ より:

    「自由」がやっぱり価値がありそうですね。
     65歳以降迄まで働く愉しさなんて考えられませんからね。
     60歳の定年をどれだけ首を長くして待ち続けていたことか。

     草刈りも、花壇の植栽も全くやりませんし、何も形に残せていることなんてないけど、それでも自分も自由を愉しめているんだと思います。

    >もう片足は棺桶に
     いつ逝ってもいいように片足を突っ込んではいるけれど、縛られない自由な生活を愉しんで行ければいいのかと。