昨夜、研究室の先輩から訃報の電話がかかってきました。1週間程前、大学でお世話になった先生がお亡くなりになったということです。
研究一筋の先生だったので学長になるとは思っていませんでしたが、お陰で学長就任祝賀会や退官後の叙勲の祝賀会など企画から関わらせていただき、生涯のよき思い出をつくらせていただきました。
私は3年生の時から研究室に出入りさせていただき、実験をさせていただきました。4℃の低温室で実験をしたり、超高速遠心分離機やゲル電気泳動、分光光度計や当時では珍しかった自動ピペットなど新しい器具を使ってクリアな実験結果を出すのに夢中だったと思います。
実験では、試験管など何百というたくさんのガラス器具を使いましたから、夜遅くまで後片付けが大変でした。手洗い作業で洗浄したので、それだけで腰が痛くなったことや、割れたガラスで指に何針も縫う傷をつくったことも、今では懐かしい思い出です。
先生からは、大学院に来ないかといううれしいお誘いがありましたが、親が高齢だから就職するという判断をしました。もし、無理して大学院に行ったら、今の自分はここにはいませんね。
先生を囲む会ということで行った北京は、7人の集まりでしたが楽しかったですね。北京の思い出 | 徒然日記 (sunbarasi.com)
さて、先生の告別式はすでに済んでいて、訃報は一般に公開されていないという状況を踏まえ、この後、先輩方と相談しながらどのような形で対応していくか決めていきたいと思います。
コメント
このブログを読み上げたら、金太郎ママがおっしゃっていました。
「あんたとは似ているかとも思っていたけど、全然違うんだね。」
『なんで?』
「今もそうだと思っているけど、大学時代からずっとまじめな人じゃん。」
『似ているじゃん。俺って超真面目人間だよね。』
「嘘だよ、誰が見たって真逆です。よくそんなことが言えるね。」
「わたしは、騙されて結婚したようなものだね。」
『いやいや、こんなまじめな人はそうはいないよ。』
『騙されたのはこっちだから。』
まっ、人間としての価値判断は全く異なるようですが、似ていても似ていなくても人それぞれの個性ですから問題ないですよね。
もう大学時代の先生方は、逝ってしまう年代ですね。
それもそのはずですよね。我々が老人の仲間入れマンですからね。
今は個性の時代ですから、真面目だとかそうでないとかの価値観で評価するのではなく、いかに自分らしく楽しく生活できるかということに趣がおかれているのではないかと思います。
そういう意味で金太郎パパは、十分個性的で魅力的だと思います。
さて、現教授から届いたメールには、「先生は、全学的な周知を希望しないとのこと」と書かれていたので、最後に、残された家族に負担をかけないという思いやりを残したのだと思います。(大学の連中にもほぼ秘密の情報ですから…くれぐれも口外しないでください。)
自分もそんなふうに残す家族に負担をかけないように死んで行ければ…と思います。