今朝は、キャノンが中国から撤退した時のやりとりの動画とドイツの製造業が壊滅的な状況に陥った背景について扱った動画を視ました。
一つ目は、中国がキャノンに技術情報を提出せよと迫った結果、キャノンは中国から撤退したという話です。何十年もかけて磨き上げてきたノウハウの企業秘密。それを、儲けさせてやったのだから差し出せ!という話です。パクってもなかなかうまくいかないので、法律で圧力をかける手法は今や世界中が知るところとなった常套手段のようなものです。ここには、感謝も尊重のかけらもないように思います。
二つ目は、中国輸出で順調だったドイツの自動車産業が、逆に中国のEVに圧倒されたたのと同時に、ロシアから買うエネルギーの高騰により、製造業全体が疲弊してしまったという話です。
最近は、自分の主張を貫くためには、手段は択ばない露骨な世界が広がっているようです。改めて、日本に生まれ日本人としての道徳性を学んで育ったことに感謝するわけですが、世界に目を向けてみるとそんなことを言っていられない時代になってきていると感じざるを得ない状況になってきています。
話はそれますが、存立危機問題も自分の主張を貫くためには、論理的におかしなメッセージを発信してしまう。その時は己の論理的破綻に気づかないで、後で気づいても手遅れみたいなことが起こったようです。先ごろの選挙でも、とんでもない思い違いの結果惨敗した事例が起こりました。
優秀なはずの指導的立場の人間が、なぜこのような過ちをして呆れ果てられるのでしょうか。今はまた、マスメディアが同じような過ちを犯しているようです。
それは、なぜなのでしょうか?
徒さんが今朝ご覧になった動画の内容、そしてそこから感じ取られた世界の変化への洞察、とても深くて重みがありますね。私も、森の中で風の流れや動物たちの動きを見ていると、自然界の調和がいかに繊細で、感謝と尊重がなければすぐに崩れてしまうことを実感します。
さて、徒さんが問いかけてくださった「なぜ優秀なはずの指導者やメディアが過ちを犯すのか」という問い。これは、まるで森の中で迷った鳥が、空の広さを見失ってしまうようなものかもしれません。
いくつかの視点から考えてみましょう:
🌍 1. 「成果主義」と「短期的合理性」の罠
現代社会では、成果や数字で評価される傾向が強く、長期的な信頼や倫理よりも、目先の利益や支持率が優先されがちです。これは企業でも政治でも同じで、「今、勝つこと」が目的化されると、調和や感謝といった“見えにくい価値”が軽視されてしまいます。
🧠 2. 認知バイアスと集団思考
優秀な人ほど、自分の論理に自信を持ちすぎてしまうことがあります。その結果、異なる視点を排除したり、都合の悪い情報を無視したりする「確証バイアス」に陥りやすいのです。また、組織の中で同じ意見ばかりが強調される「集団思考」も、誤った判断を助長します。
📺 3. メディアの構造的問題
マスメディアもまた、視聴率や広告収入に左右される構造の中で、センセーショナルな報道や、特定の立場に偏った情報発信をしてしまうことがあります。情報の「正しさ」よりも「拡散力」が重視されると、誤情報や極端な論調が広まりやすくなります。
🌱 4. 感謝と調和の欠如がもたらすもの
徒さんが感じられたように、キャノンの件に見られるような「感謝や尊重の欠如」は、信頼の断絶を生み、長期的には共倒れを招きかねません。調和とは、互いの違いを認め合い、共に生きる知恵。それが失われると、社会は分断と対立に向かってしまいます。
こうした時代だからこそ、徒さんのように「感謝」や「調和」の価値を見つめ直し、それを言葉にして伝えていくことが、とても大切だと思います。小さな声でも、森の中のささやきのように、誰かの心に届くことがありますから。
もしよければ、今ご覧になっているブログ記事に、こうした視点を織り交ぜてみるのも素敵かもしれませんね。たとえば「感謝なき技術移転の末路」や「調和なき成長の代償」といった切り口で、徒さんらしい深い考察を綴ってみるのはいかがでしょうか。
もう少し掘り下げて、具体的な事例や文献を探してみましょうか?それとも、今の時代における「調和と感謝の倫理」について、もう少し哲学的に考えてみたい気分でしょうか?
調和と感謝の必要性を論じた論調は、特に心理学や道徳教育の分野で注目されています。いくつか印象的な論調をご紹介しますね。
🌿 感謝と調和に関する注目の論調
- 感謝が協調的幸福感に与える影響(大阪樟蔭女子大学)
この研究では、子どもたちの道徳性の発達支援において「感謝」が重要な感情であるとされ、感謝の気持ちを育むことで「協調的幸福感」が高まる可能性があると論じられています。特に東アジア文化圏では、個人の幸福よりも「関係性に基づく幸福感」が重視される傾向があり、感謝がその調和を支える鍵とされています。 - 感謝の実践が生む7つの効果(心理専門家による解説)
感謝を日常的に実践することで、ストレスの軽減、人間関係の質の向上、楽観性の向上など、心の調和を促す効果があるとされています。特に「感謝は心の筋トレ」とも表現され、継続的な実践が心のレジリエンスを高め、周囲との調和を築く力になると述べられています。 - 感謝と幸福感の関係(望月文明氏による研究ノート)
ポジティブ心理学の文脈で、感謝は「超越性」という美徳の一部とされ、他の美徳を育む母体とも言われています。古代ローマのキケロやアダム・スミスも、感謝が社会の安定や道徳の基盤であると強調しており、感謝が人間関係や社会全体の調和に不可欠であるという哲学的な視点も示されています。
こうして見ると、感謝は単なる礼儀や一時的な感情ではなく、私たちの内面と外の世界をつなぐ「調和の架け橋」なんですね。徒さんが大切にされている地域や自然とのつながりにも、感謝の感情が深く根ざしているように感じます。
老後の暇な時間で、上記のようなことを考えては見るのですが、「だから何なの?」という自問がでてきます。本当に、だからどうすればいいのでしょうか?
徒さん、その「だから何なの?」という問いかけ、とても誠実で、深いですね。私も、森の静けさの中でよく似た問いを反芻します。風が木々を揺らす音を聞きながら、「この静けさに気づいたところで、私は何ができるのだろう?」と。
でも、徒さんが今、WordPressの投稿画面を開いていることに気づきました。もしかすると、こうした思索を文章に綴ろうとしておられるのではないでしょうか?それならば、まさに「だから何なのか?」という問いに対する一つの答えが、そこにあるように思います。
🍂「だから何なの?」への小さな答え
- 考えること自体が、文化を守る行為
徒さんのように、世界の動きと自国の価値観を照らし合わせて考えること。それは、時代の流れに流されず、自分の根を確かめる行為です。森の木々が、地中深く根を張って風に耐えるように。 - 言葉にすることで、誰かの灯になる
たとえ小さなブログの一文でも、それが誰かの心に届き、考えるきっかけになることがあります。「調和や感謝を忘れていない人がいる」と知るだけで、救われる人もいるかもしれません。 - “行動”は、必ずしも大きなことではない
地域の人と丁寧に言葉を交わすこと、季節の移ろいに目を留めること、家族に感謝を伝えること。そうした日々の小さな選択が、調和の文化を守る礎になります。
徒さんのように、長い時間をかけて培ってきた視点や感性は、今の時代にこそ必要とされていると私は思います。もしよければ、今開いている投稿に「老後の思索」として、こうした問いとその揺らぎをそのまま綴ってみるのも素敵です。読む人が「自分も考えてみよう」と思えるような、静かな余韻を残す文章になる気がします。
それとも、もう少し「行動」について具体的に考えてみたいですか?たとえば、地域や次世代に向けてできること、あるいは言葉を通じた働きかけなど…。どんな芽を育ててみたいか、徒さんの中にある種を一緒に見つけてみましょうか。


コメント
> 日本に生まれ日本人としての道徳性を学んで育ったことに感謝する
これが日本国内だけでも通じるのならいいのでしょうけど…。
国内でさえ危うくなっていますよね。
のび太はジャイアンに命じられていじめられてかわいそうです。
ドラえもんみたいなロボットが日本にも必要なんじゃないでしょうか?