動画で「日本でもっとも美しい村」小砂を見ました。天気も良いので、プチドライブのつもりで出かけてみました。

5月の里山を歩くと、心が癒されます。植林などない自然の林に差し込む光が、命のふるさとを感じさせます。

ここに、いくつかのアートが展示されています。

いったい、何を観測するのでしょう?

共生の染物 説明のボードに2026が記されていますので、今年の作品ですね。
ふと、「アートとは?」と思いました。
アートは「内なる感情や精神の表現」、アートとは「感染」、アートとは存在の真理が姿を現す場所、調べてみるといろいろあって、分からない。結局、アートとは「定義に抵抗するもの」かもしれません。…で落ち着く。
登った小山を下ると、こんな所にも人が住んでいる。まさに、林住期※1にふさわしい棲家かも知れません。トラクターが、オブジェに見えます。

※1 林住期(りんじゅうき)とは、古代インドのヒンドゥー教の思想に基づく人生の四段階(アーシュラマ)の第三段階です。
四段階とは:
1. 学生期(がくしょうき)― 師のもとで学ぶ時期
2. 家住期(かじゅうき)― 家庭を持ち、社会的責任を果たす時期
3. 林住期(りんじゅうき)― 森に退いて精神的な探求をする時期
4. 遊行期(ゆぎょうき)― すべてを捨てて解脱を求めて放浪する時期
林住期の特徴:
子育てや仕事といった「家住期」の義務を終えた後、森(林)に入って瞑想や哲学的探求に専念する時期です。現代でいえば、おおよそ50〜75歳ごろに相当します。
現代日本では、作家の五木寛之がこの概念を広め、定年後の第二の人生を充実させるための考え方として注目されています。仕事や義務から解放され、自分自身のために生きる、人生で最も豊かな時期として捉え直されています。
せっかくなので、示現神社という神社に立ち寄りました。

この大黒様を建てた方の話に感動しました。

述懐(全文)…claudeによる 誤読あり
昭和六年、小砂片に出生スルモ、参歳ニシテ、父他界。鎮守御社ノ諸神、護ア霊ナリ。愛国少年トナス。御国ノ為ニ身ヲ捧ケン欲ス。示現、天ッケン護ッ霊ナリ。
霞ケ浦航空隊、武科聯隊ニ予科志願セリ。示現ノ御聖断発セラレ、昭和二十年八月、御聖断ノ極メナリ。志、果セズ、生キテ墳墓ノ地ヲ踏メリ。断腸ノ極メナリ。
山ヨ川テ平和ヲ里ヨ願ワン。恒久守護神ニ謹ンデ御柱ヲナ。示現守護神ニ謹ミテ奉ラン。
奉納シ奉ラン。
平成二十四年 正月吉日
東京都荒川区西日暮里
長山 武司 妻 敏子
概要
これは昭和6年(1931年)生まれの方が書いた述懐(回顧・感懐)の碑文です。幼くして父を亡くし、愛国少年として育ち、霞ヶ浦航空隊への志願を志したが、昭和20年8月の終戦により志を果たせなかった断腸の思いと、それでも生き延びたことへの複雑な心境、そして平和と神への祈りを刻んでいます。
平成24年(2012年)に長山武司・敏子夫妻により奉納されました。
※この里山は、純心な心の少年を育んだのだろう。そして、純粋な心で死に損ねた。感謝と平和の念の尊さを感じました。
示現守護神について
「示現」とは
「示現」(じげん)は、神仏が姿を現すことを意味する仏教・神道用語です。
• 神や仏が人間の前に具体的な形・夢・霊感などで現れること
• 単なる「加護」より一段階強い概念で、直接的なお告げや啓示のニュアンスを含む
この碑文における意味
この方の人生文脈で読むと、
1. 幼くして父を亡くし、頼る存在がない中で
2. 鎮守の社の神々が霊的に現れ、守り導いてくださった
3. 航空隊志願という決意も、ただの意志ではなく神の示現(お告げ・導き)によるものと感じていた
4. 終戦で志を果たせなかったことも、神の示現による御聖断として受け止めている
つまり、この方にとって「示現守護神」とは、
自分の人生の節目節目に直接姿を現し、導き、守ってくださった神
という、非常に個人的・体験的な信仰の表現です。
まとめ
一般的な「守護神」が静的な加護であるのに対し、「示現守護神」は、能動的に姿を現し、人生に介入してくださる神というより深い意味合いを持ちます。戦時・戦後という極限状況を生き抜いた方ならではの、切実な信仰の言葉と言えるでしょう。
※有意義な半日ドライブでした。今日の日に感謝。



コメント
> 日本でもっとも美しい村
小砂なんですね。
誰が決めたか知りませんけど。
> いったい、何を観測するのでしょう?
このアートを観測するんだと思います。
> 登った小山を下ると、こんな所にも人が住んでいる。
これもアートじゃなかったんですかね。
どうみてもオブジェですね。
以下略