暮れにある地区の班長さんから訃報の電話がありました。自治会として香典を支出するということで、班内で不幸があった場合は連絡をくれるように通知してあるので、連絡に感謝を申し上げたのですが…亡くなった方が元民生委員さんであることを聞いて驚きました。
この方は、民生委員を長いことやられ、独居老人へのお弁当配りなども進んでやっていただきました。農業を営みながら自治会をまたがって組織する環境保全の事務局をされ、自治会でも役員として、さらに道路・河川愛護活動に関連した部分でもお世話になりました。
私は、以前から存じ上げていましたが実際会話をするようになったのは自治会長になってからです。75歳で亡くなったのですが、この年で普段からipadを持ち歩いている農家の方を他に見たことはありません。環境保全の組織の運営については、私の関知する部分ではありませんが、会長さんもお困りの様子です。
このような社会貢献度の高い方が亡くなるのは、頼りにしていた方々や地域全体の損失ですが、だれも寿命には勝てません。
謹んで通夜に臨みたいと思います。
※画像は、故人が持ち歩いていたipadから市への道路愛護活動報告書に添付するためにいただいた画像です。
通夜から帰ってきました。故人は民生委員を12年されていたことを坊さんが言いました。坊さんは民生委員長をやっているので故人の思い出を話しながら泣き出してしまいました。故人のいろいろな思いが詰まっているのでしょうね。名前の通り清い方でした。
コメント
> 社会貢献度の高い方が亡くなるのは、頼りにしていた方々や地域全体の損失ですが、だれも寿命には勝てません。
残念なことに長生きできる人が必ずしも社会に貢献していたり必要とされる人とは限りませんからね。「美人薄命(これは違うか(笑))」とか「憎まれっ子世にはばかる(これも違うな…。)」
死を惜しまれるような人には自分ではなれないけど、何かで少しでも社会に貢献しながら生きていけるってすんばらしいですね。自治会長なんかもその長たるものでしょうね。私設自宅警備員でも、少しは家庭(族)には貢献できているのか?
「無財の七施(むざいのしちせ)」という言葉がありますが、そういう境地をめざせればいいのではないかと思います。なかなかたどり着けませんが、大事なのは、そこに向かおうとする気持ちなのではないでしょうか。