昔読んだ「歎異抄を読む」(すずき出版)を本棚から引っ張り出して読みました。
著者は、3名ですが代表の”ひろさちや”さんの書いた終章から読み始めました。
分かりづらいと言われる「歎異抄」ですが、結局何を伝えようとしているのか?
”ひろさちや”さんのフィルターを通して学んだことをまとめてみます。
1 分からないことを考えるな。
人間の知恵で分からないもの3つ
①死後の世界
②未来
③幸福
「一寸先は闇」と言いながら、分からないことを分かろうとするのが人間だが、分からない問題は、捨て置け。
「明日のことを思い煩うな、今日一日の苦労は今日一日で足れり」(キリスト)
「今やる仕事を今やる、自分ができる仕事・自分がすべき仕事」をすればよい。
2 浄土のとらえ方
「浄土」のあるなしを考えるのではなく、ひたすら浄土があると信じる。それが、浄土教の教え。信じ切るのが宗教の本質
3 「まあさてあらん」(まあそういうものだろう)
人々を救おうという考えは、よけいなお世話
凡夫の世界は、「はからいの世界」…「明日についての心配」・「他人についての心配」
仏教は、俗世間のことを一切捨てて、初めて成り立つ
救う必要を全部捨て、ひたすら仏様にお任せする。
「他人のことは、ほっておけ。今日のことをしっかりやればいい。」
※「人に対し、余計な干渉はしない。自分の今日をしっかり生きればよい。」ととらえました。
気持ちが楽になりました。今度は、「楽訓」(貝原益軒)を読んでみたくなりました。探し てみます。
コメント
余計なことを心配しながら生きるのではなく、ただ今だけに集中して生きるってことなんでしょうか。難しくてわかりません。
まっ、現実的には心配事など先回りしても、それに対してのほぼ防衛などできないでしょうし、余計な労力を使ってしまって今が薄っぺらなものになりそうですからね。