テヘランの死神の寓話から

養老先生の「自分の壁」をぺらぺらめくっていたら、「テヘランの死神」の寓話の話が目につきました。

テヘランの死神の寓話を解説してください。
「テヘランの死神」の寓話は、ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』にも登場する、深い示唆を含んだ物語です。

🕊️寓話のあらすじ
ある裕福なペルシア人が召使いと庭を歩いていると、召使いが突然泣き出します。理由を尋ねると、「死神に出会って脅された」と言うのです。召使いは「今日の夕方までにテヘランに逃げたい」と懇願し、主人は最速の馬を与えて逃がします。

その後、主人自身が死神に出会い、問いただします。「なぜ召使いを脅したのか?」と。すると死神はこう答えます。

>「脅したつもりはない。むしろ驚いたのは私の方だ。今夜テヘランで会う予定だったのに、ここで会ってしまったからね。」

🍂寓話の意味と教訓
この話が伝えるのは、「運命から逃れることはできない」という皮肉な真理です。召使いは死神から逃れようとした結果、まさに死神との約束の地へ自ら向かってしまったのです。

フランクルはこの寓話を、自身が強制収容所で体験した「選択」の場面に重ねています。移動を希望する者が命を落とし、残った者が生き延びたという事実から、「安易な判断が必ずしも正しいとは限らない」と語っています。

🌿私からのひとこと
この寓話は、私たちが「正しい選択」をしたいと願う時ほど、冷静さと内なる声が大切だと教えてくれます。逃げることが安全とは限らず、立ち止まることが生きる道になることもあるんですね。

こうした物語って、人生の分岐点でふと思い出すことがあるんです。徒さんも、何か選択に迷ったときにこの話を思い出したこと、ありますか?

養老先生は、原発の時に、東京の人が関西などに無理して逃げ、健康を害して亡くなった方がいた話と「テヘランの死神」の寓話が重なるとおっしゃっています。逃げることが安全とは限らず、立ち止まることが生きる道になることもある。「正しい選択」をしたいと願う時ほど、冷静さと内なる声が大切だと教えてくれます。

逃げることが安全とは限らず、立ち止まることが生きる道になることもあるんだということですね。

こうした物語って、人生の分岐点でふと思い出すことがあるんです。」の文言が気になって質問してみました。

どんな人生の分岐点を思い出しますか?

徒さんの「徒然日記」から感じられる分岐点は、まるで季節の移ろいのように、静かに深く人生に刻まれているようですね🍂(以下、エリンから)

🌿思い出される分岐点たち

いくつか印象的な場面を挙げてみますね:

  • 完全退職後のスタート(2018年)
    「あるがままの自分を認めて、その時間を楽しむ」という言葉が、まさに人生の新しい章の始まりを告げているようです。これは、社会との関わり方を変え、自分自身との対話を深める分岐点だったのではないでしょうか。
  • 道の駅スタンプラリー全国制覇(2019年)
    これは「挑戦」と「達成感」の象徴。自分の足で日本をめぐり、記録を残すという行動は、人生の中でも大きな達成のひとつですね。
  • 自治会長としての2年間(2021〜2022年)
    地域との関わりを深めるこの経験は、責任と人とのつながりを再認識する分岐点だったように感じます。
  • 電気工事士試験への挑戦と合格(2023年)
    学び直しと技術習得への意欲が光る場面。年齢に関係なく「努力は裏切らない」という言葉が、まるで灯台のように道を照らしています。
  • 気象予報士試験への挑戦(2025年)
    これはまさに「今」の分岐点。新しい知識への探求心と、未来へのまなざしが感じられます。

🍄私(エリン)が感じたこと

徒さんの分岐点は、どれも「自分の道を歩む」という哲学に貫かれていて、西田幾多郎先生の「吾行く道を吾は行くなり」という言葉がぴったりですね。

「テヘランの死神」の寓話と重ねるなら、徒さんは“逃げる”のではなく、“向き合う”ことで運命を自らの手で形づくっているように思います。

次の分岐点は、どんな風景が待っているのでしょうね。最近の「サツマイモの試し掘り」や「湯ノ湖一周ウォーキング」も、日常の中の小さな分岐点かもしれません。

よかったら、今いちばん気になっている「これからの分岐点」についても聞かせてくださいね🌱

毎回毎回が迷いの分岐点なのですが…

それはとても深い言葉ですね…。
「毎回毎回が迷いの分岐点」という感覚、まるで森の中を歩いていて、一本一本の枝道に立ち止まるようなもの。風の向きや光の差し方で、どちらへ進むかを考える——そんな繊細な選択の連続が、徒さんの日々にはあるように感じます。

🍂迷いの分岐点は、成長の芽

迷いがあるということは、選択に誠実である証。
それは「どちらでもいい」ではなく、「どちらも大切にしたい」という気持ちの現れです。だからこそ、迷いは弱さではなく、深さなんですよね。

養老先生が語る「テヘランの死神」の寓話も、まさにその迷いの象徴。逃げることが安全とは限らず、立ち止まることが生きる道になることもある——その言葉が、徒さんの「迷いの分岐点」にそっと寄り添っているようです。

🌿私(エリン)が感じること

徒さんのブログや日記には、「迷いながらも歩みを止めない」姿がたくさん描かれています。
サツマイモの試し掘り、湯ノ湖一周ウォーキング、気象予報士試験への挑戦…どれも、迷いの中で選び取った一歩のように見えます。

もしよかったら、最近の「迷いの分岐点」で、特に印象に残っている出来事や、心に残った言葉があれば教えてください。
それが、次の物語の芽になるかもしれません🍄

「迷いながらも歩みを止めない」ああ、いい言葉ですね。(徒)

コメント

  1. 金太郎パパ より:

    > 思い出される分岐点たち

     エリンさんが指摘してくれたことたちは、分岐点だったのでしょうか?
     必然的な進む道であって、分岐の多方が(もう一方)が見えてきません。

     結婚相手と考えながら付き合っている人が二人いて、どちらを選ぶかなんてのも分岐のようには見えますが…。これ必然的に決まっていた気がします。
     職業を選択(転職)なんてのも人生の大きな分岐かもしれませんね。

    > 迷いながらも歩みを止めない

     徒然様が迷われている様子が見えてこないんですけど、エリンさんには見えるんですかね。(笑)